神事と甘味が結びつく形:津和野祇園祭の「へこはずし」にみる米粉と小豆の文化的意味合い
はじめに:津和野祇園祭と独特の菓子
島根県津和野町は、その歴史的な町並みと共に、古くから伝わる伝統文化が息づく地として知られています。特に毎年夏に斎行される津和野祇園祭は、古典芸能である「鷺舞」が奉納される神事として名高く、多くの人々の関心を集めています。この祇園祭において、神事と深く結びついた独特の菓子が存在します。それが「へこはずし」と呼ばれる餅菓子です。単なる菓子としてではなく、神饌として、そして地域の人々の営みの中で特別な意味を持つ「へこはずし」に、この地の食と文化の結びつきを見出すことができます。
「へこはずし」とは:形と材料が語る物語
「へこはずし」は、米粉を蒸してつき、小豆餡を包んだ素朴な餅菓子です。その最大の特徴は、細長く、丸みを帯びた独特の形状にあります。この形状や「へこはずし」という名称については諸説伝わっており、地元では古くから様々な言い伝えが語り継がれています。一説には、その形状が男性の褌(へこ)に似ていることから名付けられたとも言われます。また、あまりの美味しさに思わず褌を外してしまうほどだ、あるいは神事の際に褌を外す(裸になる)前に食べると良い、といった伝承もありますが、いずれもこの菓子が地域の人々にとって特別で、親しみ深い存在であることを示唆しています。
主に使用される材料は、地域の恵みである米と小豆です。米は粉に加工されて餅生地となり、小豆は甘い餡となります。これらの農産物加工品が、神事の場で重要な役割を担う菓子へと姿を変えるのです。
祇園祭における「へこはずし」の役割
津和野祇園祭において、「へこはずし」は重要な神饌の一つとして神前に供えられます。祭りの期間中、特に鷺舞奉納などの主要な神事の際に用いられるとされています。神饌は、神様への感謝と供え物であり、豊穣への祈りや共同体の安寧を願う意味が込められています。
また、神前に供えられた後、「へこはずし」が祭りの関係者や鷺舞の奉仕者などに振る舞われるという習慣も伝わります。これは、神様と同じものをいただくことで神との結びつきを強め、その恩恵にあずかる「直会(なおらい)」的な意味合いを持つと考えられます。祭りの厳粛な雰囲気の中で、この素朴な菓子を食することは、単なる空腹を満たす行為ではなく、神聖な体験の一部と言えるでしょう。地元の人々の間では、祭りの時期に家庭で作ったり、親戚や知人に配ったりすることも行われ、祭りの賑わいと共に「へこはずし」が地域社会の中で循環しています。
米粉と小豆に込められた文化的意味合い
「へこはずし」の主原料である米粉と小豆は、日本の食文化、特に祭礼や年中行事において重要な役割を果たしてきた農産物です。
米は言わずもがな、日本の主食であり、古くから五穀豊穣の象徴として神聖視されてきました。餅や団子といった米を加工した食品は、神饌として最も一般的であり、神との結びつきを強める力があると信じられてきました。津和野地域で収穫された米が粉となり、「へこはずし」として神前に供えられることは、地域固有の米に対する感謝と、その恵みを通じた神への祈りの形と言えます。
一方、小豆の赤色には、古来より魔除けや厄除けの力があると信じられてきました。赤飯や小豆粥など、小豆を使った料理がハレの日や節句に食される習慣は全国各地に見られます。祇園祭は疫病退散を願う祭りとしての側面も持ち合わせており、そうした祭りの場で魔除けの意味を持つとされる小豆が用いられることには、深い関連性があると考えられます。
地域に受け継がれる製法と営み
「へこはずし」は、かつては津和野祇園祭の時期になると、各家庭や地域の女性たちが集まって手作りするのが一般的な習わしだったと伝わります。米を粉に挽き、熱湯を加えて練り、蒸し上げ、小豆餡を包んで形作るという工程は、地域の共同作業や世代間での技術伝承の場ともなっていました。
現代では、一部の和菓子店でも作られていますが、祭りの時期には今なお家庭や地域で手作りされる文化が根強く残っています。特に、鷺舞の保存会など、祭りの運営に関わる人々によって、神事のために「へこはずし」が準備される様子は、この菓子が地域コミュニティの結束と祭りの伝統維持に不可欠な存在であることを示しています。地域の高齢者から若い世代へと製法が伝えられ、皆で協力して菓子を作るという営みそのものが、津和野の文化を紡ぐ大切な要素となっています。
結論:食と文化が織りなす津和野の伝統
島根県津和野町の祇園祭に伝わる「へこはずし」は、単なる郷土菓子ではありません。使われる米粉や小豆といった農産物の文化的・歴史的な意味合い、神饌としての役割、そして地域の共同体による手作りの営みを通じて、この地の信仰、伝統、食文化が深く結びついていることを示す貴重な存在です。
「へこはずし」の素朴な味わいの中に、地域の恵みへの感謝、神様への祈り、そして人々の繋がりの温かさが込められています。文献だけでは伝わりにくい、こうした生きた文化の営みが、「へこはずし」を通して津和野の地に今も息づいているのです。