福島県会津地方に伝わる天神講と「つゆもち」:米粉が紡ぐ地域の信仰と食文化
会津に息づく天神信仰と食の習わし
福島県会津地方には、学問の神様として知られる菅原道真公を祀る天神信仰が古くから深く根付いています。特に、子供たちの書道や学業成就を願う家庭や地域で大切にされてきたのが「天神講(てんじんこう)」と呼ばれる習わしです。この天神講には、特別な日に食される伝統的な菓子が欠かせません。それが、うるち米の粉を使った「つゆもち」です。本稿では、会津地方の天神講と、それに深く結びついたつゆもちの文化に焦点を当て、食がどのように地域の信仰や人々の暮らしと結びつき、紡がれてきたのかを探ります。
天神講とは:地域に根差した講の文化
会津地方における天神講は、特定の家や地域の人々が集まり、天神様(菅原道真公)を祀る行事です。一般的には、菅原道真公の命日とされる旧暦1月25日に近い時期や、新暦の1月25日、あるいは毎月25日の縁日などに行われます。特に子供たちが字を習い始めたり、学業に励んだりする際に、上達を願って行われることが多いようです。家庭では、天神様の掛け軸を飾り、書道に使う筆などを供え、学業成就を祈願します。
かつては地域ごとに「講」と呼ばれる組織があり、持ち回りで天神様の掛け軸や道具を管理し、共同で祭祀を行うこともあったと伝えられています。こうした講の集まりや、家庭での天神様を祀る際に、特定の食事が用意されるのは、日本の祭祀における一般的な慣習であり、会津の天神講も例外ではありませんでした。その中でも、特に特徴的な存在がつゆもちです。
米粉が形作る伝統菓子「つゆもち」
つゆもちは、うるち米の粉(上新粉など)を熱湯でこねて耳たぶほどの硬さにし、小さく丸め、中にあんを入れて茹でる(または蒸す)というシンプルな製法の菓子です。名称の由来には諸説ありますが、甘いつゆ(砂糖醤油など)に浸して食すことからその名がついたとも、また形や色が天神様の着物の色に似ているため「お袖もち」と呼ばれたものが転じたともいわれています。大きさは直径2〜3センチほどのものが一般的で、あんにはこしあんや粒あんが用いられます。
つゆもちが天神講で食されるようになった背景には、米という農産物への深い信仰と、地域ならではの食文化があります。米は古来より日本の食文化の根幹をなす作物であり、豊穣のシンボルでもあります。その米を粉にし、練って丸めるという工程は、生命力や結びつき、円満を願う意味合いを持つことも考えられます。特に、学業成就や技芸上達を願う天神講において、米の粘り強さや、丸く収まる(成就する)といったイメージが重ね合わせられたのかもしれません。
天神講におけるつゆもちの役割
天神講において、つゆもちは単なる菓子としてではなく、重要な供物であり、また祭礼食として位置づけられています。
-
供物としての役割: 天神様の掛け軸や学用品と共に神棚や床の間に供えられます。丁寧に作られたつゆもちは、日頃の感謝や願いを込めた捧げ物として、神様への敬意を表すものです。地域によっては、供えたつゆもちの数を数え、子供たちの学業の進捗や将来を占うといった習わしもあったと伝えられています。
-
祭礼食としての役割: 講の集まりや家庭での祭祀の後には、供えられたつゆもちが参列者や家族で分け合われ、食されます。これは、神様と共に食事をいただく「直会(なおらい)」に通じる行為であり、神様から力を授かり、願いが叶うよう祈願する意味合いが込められています。また、集まった人々が同じものを食することで、連帯感を深め、地域や家族の絆を強める役割も果たしました。地元の古老によれば、「昔は天神講の日になると、近所の子どもたちが『つゆもち食べさせてもらいに』と家を訪ねてきたものだ」といった話も聞かれ、地域全体で子供たちの成長を見守る温かい交流の場でもあったことがうかがえます。
地域に生きるつゆもち文化の今
現代においても、会津地方の一部の家庭では天神講の習わしと共に、つゆもちが受け継がれています。家庭で作られる温かいつゆもちは、子供たちにとって天神様の日の特別な味として記憶に残っていることでしょう。また、会津若松市内などの和菓子店でも、天神講の時期に合わせてつゆもちが作られ、販売されています。これらの店では、伝統的な製法を守りつつ、現代の嗜好に合わせたあんの種類(抹茶あんなど)や、冷凍販売なども行われており、地域の味として広く親しまれています。
文献だけでなく、実際に会津を訪れ、地域の人々から話を聞くと、つゆもち一つをとっても、各家庭や地域によって微妙に異なるレシピや習わしがあることが分かります。ある家では醤油をきかせた辛めのつゆで、別の家では砂糖をたっぷり使った甘いつゆでいただく、といった具体的なエピソードは、生きた地域文化の多様性を示しています。また、つゆもちを作る過程で親子や祖父母と孫が共に時間を過ごすことは、単なる調理行為を超え、地域の歴史や信仰が世代を超えて継承される貴重な機会となっています。
結び:米粉に込められた地域の願い
福島県会津地方の天神講とつゆもちの文化は、米という農産物が、人々の信仰や願い、そして地域社会の営みと深く結びついていることを示しています。シンプルな米粉の菓子でありながら、そこには学業成就を願う親心、神様への畏敬の念、そして地域の人々の絆を大切にする思いが込められています。文献や史料に加えて、こうした地域に伝わる食の習わしや人々の営みに目を向けることで、その土地の文化や歴史をより深く理解する手がかりが得られるのではないでしょうか。つゆもちは、会津の豊かな米の恵みと、そこに生きる人々の慎ましくも温かい暮らし、そして未来への願いを紡ぐ、甘く滋味深い伝統菓子なのです。